ドラッカー風エクササイズをした

別のチームでドラッカー風エクササイズをしていたので、今のチームでお試しでやってみた。

結構長く一緒に開発しているチームメンバーなので、あまり効果はないのかなと思いつつ、やってみると意外に新たな発見があったり、実はメンバー間で期待したりされていることがズレてたりして、とても良かった。

  • 自分の得意なこと
  • 仕事をする上で大事にしていること
  • 自分が大事にしている価値
  • 周りから期待されてると思っていること

を15分くらいで各自書いてもらって、1人ずつ発表してもらい、そのあと他のメンバーから意外だったことや期待してることについてフィードバックする、という流れで進めた。

今日はたまたまオフィス出社日でみんな顔を合わせながらやったけど、今後リモートでやる機会もふえるかなと思いツールとしてはmiroをつかった。miro便利。

自分の考えを話したり周りからどう期待されているのかを改めて会話すると照れるけど、それも良いスパイスになっていい感じの空気感になっていたと思う。

なかなか好評だったので、半年ごととかメンバーが変わったタイミングでやれるといいね、という話をしていた。

「正しさ」に対して過剰に反応してしまう

今日、とあることがあり自分が防衛的になってしまい、何も喋れなくなったのを感じたので反省。この現象に時々なるのだけどどういうときに起こるかというと、今進んでいることに関して「これが正しい」とガッと指摘されたり、自分がそう感じたときによくなる。

なぜ防衛的になるのかを考えてみると、

  • 自分や誰かががそれまでに考えてきた背景や状況をないがしろにされる悲しみ
  • 正しい方法にたどり着けなかった自分の不甲斐なさ
  • 今やっていることは正しくないかもしれないという疑問に対してえぐられる感じ

結果がすべて、かもしれないけど、そこにたどり着くまでにはいろんな人の考えや行動や感情が詰まっていて、そこからはじき出された1つのプロセスなだけなのでは?と思っちゃう。

「正しい」ってなんだと考えたとき、自分は答えがない。自分の言動の中に「正しい」と思っているものは1つもなくて(本当はあるだろうけど)、今までの自分の経験からはじき出されたただの1つの考えとしか思っていない。自分の中の「正しい」は誰かの「正しくない」かもしれない。どの言動に対してもこれは正しくないかもしれない、ただトライしてみることで何かが得られあのときはこんな失敗をしたな、もっとこうすればよかったな、という記憶が糧になって次の行動をつくる、みたいな感じ。

ただ、上記のような考えも自分の1つの「正しさ」であって、他の人はそうでないかもしれない。だから防衛的な反応をしてしまったときに自分の中の「正しさ」を守ろうとしているのだな、と逆に悲しくなる。

まだまだ圧倒的に鍛錬が足りないし、これを解消するには少しでも手を動かしたり考えたりして、より「正しい」道に進める確率を上げるしかない。

ただそこが大変なのよねー。がんばろー。

(この文章は決して誰かを咎めるものではなくて、反省のために書き記しています。)